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8月9日です
この時期に合わせて映画「tomorrow 明日」が上映されているようです
実は自分が過去に見たのがこの映画なのか、これをもとに作られたテレビドラマの方なのかはっきりしないのですが、自分にとってはこの時期に限らずしょっちゅう思い出す作品です。
原爆投下前のごくありふれた人々の日常を淡々と描いた映画で、最後はその瞬間で終わる。投下後の悲惨な光景は一切描かれずに終わる。
しかし、それだけに最後のシーンのインパクトは物凄く、実は自分にとってはトラウマになっていると言ってもいいほどの映画です。
どれほどのトラウマかというと、何気ない瞬間に何かのきっかけでふとラストシーンを思い出して慟哭しそうになることが一年に何回かある。
もう見てから何十年か経っているはずなのですが、これはトラウマというよりPTSDと言ってもいいレベルかもしれません。
どんな人にとってもありふれた毎日、小さな喜びや悲しみがあったり良い一日もそうでもない一日もある。
それでも明日は当然のように来ると漠然と思っている。
なんの疑いもなくまた会えると信じて「また明日ね」と、友と挨拶を交わしたりするでしょう
そんな明日が、、、、
何気ない日常がどんなに愛おしく大切な時間であることか、、、
平和な日常が当たり前であることの貴重さを思わずにいられません
こんなことを書いていますが、僕の子供時代はまるで軍国少年のようでした
プラモデルで作って遊ぶのはアメリカや日本の戦闘機や戦艦大和。
おじさんたちが集まって宴会になると、歌われるのは軍歌の「同期の桜」とかで、テレビの歌番組も軍歌が多かったです。
戦争が終わって15年から20年ほど経った頃。決して戦争中の話ではありません。
今考えると、とても不思議なのですが当時はまだまだそんな感じでした。
読書にしてもゼロ戦パイロットの坂井三郎さんの書いた「大空のサムライ」なんかを愛読していました。
ただ、では戦争礼賛が当時のムードであったかというと、そうではなかったと思います。
どういう事かと言うと
実際にあったことはなかったことにできない。そういうことなのではないでしょうか。
戦時中が良かったとか悪かったとか、そういう事ではなく大人の人たちにとって、それは現実だったという事です。
当時の日本人は、敗戦を機に価値観の大転換を受け入れつつも、おそらく一挙に自己否定に走ったというわけではなかったのでしょう。
過去の歴史に蓋をして無かったことにするのではなく、軍歌の勇ましさに胸轟かせた自分をいなかったことにするのではなく、戦争の時に何があったか、何をしたかを静かに反芻していた、戦争を体験した人たちにとっては、そんな時期だったのではないかと今考えます。
戦争は悪い事だから当時のものは全部禁止と言って、子供の目から隠す事はしなかったのですね。
今思えば、中学校の図書館にもナチスドイツの残虐行為の写真が載った本なんかも普通に置いてありました。
その後も戦争関係の本は良く読みましたが、今でも印象に残っているのは中学生の頃に読んだ、藤原てい「流れる星は生きている」。
あるいは五味川純平の「人間の條件」。人間の條件は全6巻ですので一冊ではないですが。
どちらの本も、戦争がもたらす状況のあまりの理不尽さ、人間の性質の善悪では語りきれない複雑さを描いていて戦慄します。
「人間の條件」は学校をサボって読み出したら止まらず、結局読了するまで数日間学校には行きませんでした。
しばらくは、自分の日常と本の世界とのあまりの乖離に呆然としていたことを覚えていますが、中学の担任が良い先生で、ふてくされた態度の自分に喝を入れて目を覚まさせてくれました。
とりとめもなく長くなりましたが、そろそろ終わります。
人間のすること、考えることはどんなに頭が良い人でも状況次第では右が左にもなるし善も悪になる。そもそも絶対的な善など存在しません。
そして必ず間違えるのが人間です。どんなに理不尽だと訴えようが一旦戦争になってしまえば結局は状況の奴隷にしかなれない。
戦争になれば人はなんでもやってのけてしまう。
そういうものだという認識がとても大切だと思いますし、自分はそれらを少年期の読書や、戦争を体験した大人の怖い話から学んだのだと思います。
今は特に、歴史を捻じ曲げることなくありのままに検証していく態度が求められるのではないでしょうか?
お詫びをするとか、したくないとかそんな低レベルの話ではないと思うのです。
お店のブログで、全くアンティークに関係のない話を長々と書きましたが、今日はお許しください。
店主